建築家前川國男
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建築家 前川國男

  • 2013.12.25

建築家前川國男
戦後日本の建築界の第一人者でもある、故:前川 國男(マエカワ クニオ)氏の建築との出会いは、ひとつの椅子からはじまった。
 
そのアームチェアがどこで作られ、誰がデザインしたのか、どこかで実際に見ることはできないか。
そんな思いで、調査したところ、一枚の写真にたどりついた。
建築家前川國男
 
それが、前川氏の目黒の自邸。
現在、前川氏の目黒の自邸は、東京都小金井市の、江戸東京たてもの園に移築され、実際に見ることができるとわかり、私たちは、早速、足を運ぶこととなった。
 
目黒の自邸内には、探していたアームチェアが確かにおいてあり、その座り心地も大変良いものだったが、それ以上に、前川氏の建築に私たちは心を奪われてしまった。
建築家前川國男
 
中に入ったとき、どこか懐かしさと、居心地の良さを感じるだけではなく、この建物が、今から約70年も以前に設計されたとは思えないほどの、新鮮さと、新しさを感じずにはいられなかった。
建築家前川國男
 
もっと深く前川氏と建築について知りたいと考え、前川建築設計事務所にコンタクトをとり、代表の橋本 功氏にお話を伺うことができた。
 
建築家前川國男

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【前川國男氏と建築】
アニック) 前川氏の自邸においてある、家具は、どのようなものなのでしょうか。
 
橋本氏) 自邸においてある家具に関しては、ダイニングテーブル以外は、前川が自身でセレクトしたもの。椅子に関しては、今は、デザイナーや詳細は不明です。
現在、たてもの園の自邸にあるものは、たてもの園がオリジナルをもとに復元したものです。

 
アニック) 前川氏は建築と家具についてどのようにお考えだったのでしょう。
 
橋本氏) 前川自身も数点、家具を設計していますが、特別しゃれたデザインのものではなかったですね。家具の設計はあまりしていないですが、家具が建築にとってとても重要な要素のひとつだという意識はもちろんもっていました。スタッフに家具デザイナーをかかえ、設計する建築の家具に関しては、家具デザイナーに設計をさせていました。水之江忠臣さんや、川上玲子さん。
 
アニック) 前川氏の自邸の写真を見たときに、前川氏がスリッパをはいているのか、靴をはいているのかが、とても気になりました。
日本には、家に上がるという概念があります。外は靴をはき、家の中では靴を脱ぐといった生活スタイルで、今でも、ソファの前の床に腰をおろして生活しておられる方も多くいます。
前川氏は、コルビュジエの事務所にいっておられたこともあり、海外の、家の中も靴をはくという生活に多く接する機会があったと思いますが、前川氏は屋外と屋内のとりあいはどのような考えを持っておられたのでしょう。
 
橋本氏) 写真はスリッパを履いています。自邸もそうですが、自邸跡に建築された新しい家も、玄関(土間)をつくっていること、自邸の図面には下駄箱があることから、家の中まで靴をはくという考えかたではなかったと思います。
ただ、過去の戦後モダニズムの時代には、家の中まで靴のまま生活しているものもあったことから、靴をはいたままという発想はあったのかもしれない。

 
アニック) 前川氏の自邸が建築された時代は、延床面積100平方メートル以上の建築が統制されていたとのことですが、もちろん前川氏の自邸にはそれを感じさせない開放感があると感じたのですが、この統制には景観維持、ランドスケープだとかそういった面があったのでしょうか。
 
橋本氏) 景観維持だとかそういった考えは全くなく、前川の自邸が建築された時代は、ちょうど戦争が始まったときだったので。
木材から金属にいたるまで、使用するための制限がありました。
その後、お寺の鐘までが、戦争のために没収された時代。ランドスケープ的な考え方はありませんでした。
ランドスケープが考えられ始めたのは、オリンピック開催の頃ではないでしょうか。
そうした時代にもかかわらず、前川の自邸は、しっかりとした材料をつかっており、むしろ、よくこんなに良い材料を集められたなという印象ですね。

 
アニック) 空間が広く感じるといえば、前川氏の自邸のサロンの階段ですが、視界を遮ったり、空間が狭く感じる印象が全くありませんでした。今お話させていただいている事務所の階段もちょうど同じような感じですね。前川氏の階段に関する考え方はどうだったのでしょう。
 
橋本氏) 1954年の神奈川県立図書館・音楽堂や、1964年の弘前市民会館も空間が抜けるような階段になっています。階段を少しまげたり、階段をのぼった先に空間がみえて、そこがくつろげる場所になっていたりと、見通しを遮らないようにする発想がありました。特にこれらの階段は公共施設に多くみられます。階段を上るということ以上に、空間内で曲げたり、視線の通り道を確保することをしています。
 
アニック) それはやはり、コルビュジエの建築の影響があるのでしょうか。
 
橋本氏) コルビュジエより、レーモンドに影響をうけていると考えられるでしょう。
レーモンドは、空間の流れを非常に大切にし、日本家屋を研究し、そこから発想をえていました。空間の流れという発想は、非常に日本的な発想で、ヨーロッパ的なものではありません。

 
建築家前川國男
アニック) コルビュジエやペリアンとの交流は日本に帰られてからもあったのでしょうか。
 
橋本氏) 2人とは、日本に戻ってからも、交流が深かった。この事務所には2人とも訪れているし、特にペリアンは日本が非常に好きでした。ペリアンのお嬢さんが在日したとき、前川の自邸に住んでいたこともあります。
また、ペリアンが日本にきたときは柳 宗理さんが日本を案内していましたね。
当時の写真には、浴衣を着たペリアンや、名のある建築家たちが共にテーブルを囲んでいるものもあります。
当時は、設計事務所間の風通しもよく、お互いの事務所をたびたび行き来し、情報を交換したり、交流がありました。

 
建築家前川國男

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アニック) コルビュジエからはどんな影響をうけているのでしょう。
 
橋本氏) 前川は、日本独自のデザインの建築を安く、たくさんつくりたかった。
コルビュジエのデザインも、もちろんみてはいましたが、デザインよりも、戦後の荒廃したパリにおいて、貧しく、飢えている人々がたくさんいた時代に、そんな人々のために住宅を提供できるよう、建築を工業化していこうとした、コルビュジエの姿勢に共感していたのではないでしょうか。

 
アニック) レーモンドからの影響はどうだったのでしょう。
 
橋本氏) レーモンドのところでは、デザインを学ぶというよりも、ディティールや、設計事務所の経営について学んでいたという要素が強いです。レーモンドはそういった経営の面が非常に上手で、弟子を育て、自分のパートナーとして一緒に仕事をし、いろいろな考えかたを取り入れていく。人を育てるのがとても上手な人でした。
 
 
【近代建築の3段階論】
橋本氏) 前川は建築を3つの段階に分けて話しています。
まず、第一段階は、折衷主義との戦いであり、それまでの建築からの脱却である。第二段階として、建築技術を高め、技術面での問題を克服し、生産体制を整える。テクニカルアプローチ。この第二段階を経て、その技術を駆使したデザインの設計、実現。という第三段階がある。
日本独自の考え方をもち、それを実現するためのテクニカルアプローチが重要で、これを追求せずになされた単なる流行だけのデザインは、ただデザインの遊びでしかない。
しかし、工業化によって開発された、うすっぺらな材料ではなく、
前川には常に、本物の材料をつかい、本物の建築をつくろうという理念がありました。
木は木として、石は石として。きちっとした材料をつかい、その材料に則したディティールやスケールのものをつくる。そうしてつくりあげられたものが、本当に良いものだと。

 
アニック) 常に何もないところから、新しいものをつくりだそうとしている。デザインの部分で、とてもおしゃれな方だったのですね。
 
橋本) おしゃれというなら、他の建築家のほうがしゃれていたでしょう。おしゃれというより、不器用だったのかもしれませんね。
 
 
【将来へのメッセージ】
アニック) 最後に、前川氏からの言葉で、伝えたいメッセージはありますか。
 
橋本氏) 前川がよく言っていたのは、
 
『建築だけではなく、様々なものを見なさい。
おいしいものを食べなさい。人間もおいしくなければいけない。
様々なものの見方をする中で、見極める力を、本物を見る目を養いなさい。』
 
前川は、基本的には永遠性をもとめていました。真実の材料をしっかり見極めて、それをつかって、きちっとしたものをつくる。そうしてつくられたものは、本物で、たとえ時間がたち、それが朽ちてきても、それは、本物の朽ちかたであり、それもまた本物であると。

 
 
橋本氏は、最後にこうも語ってくれた。
 
橋本氏) 前川の原点は、コルビュジェの思想ではなく、松尾芭蕉の『不易流行』という言葉が原点になっているのではないかと考えています。
『不易』とは、いつのときも、決して変えてはいけないもの。
『流行』とは、新しく変えていかなければならないもの。変わっていくもの。
いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質であること。という意味です。
 
不易とは歴史認識であり、これを間違えると、流行を間違えてしまう。
基本をしっかり学び、その上で新しい風を取り入れなさい。
変わらない、本質を見極め、時代に対応して変化させていきなさい。
前川がよく言っていたことです。
 
前川は、建築は出来上がったらそれで終了ではなく、それを使う人や、建築を利用する人たちと、どのように将来へとつなげていくか。そういったつながりを非常に大事にしていました。現在の前川事務所もその考えかたの延長にあります。先輩たちがつくった建築を、どうやって将来に残し、伝えていくかを常に考えています。
改修工事などの際は、長く使われていくことを根底に、オリジナル部分はなるべく残す。それは、色、形、空間、見た目だけではありません。建築に根付いている精神的な部分、DNAのようなものもあります。形が変わってしまっても、伝えたい、伝承していきたいことがどうすれば伝えられるのか。常に問いかけています。
全く変えないことが、伝えることなのか。その建築によって伝えたいこと、その本質はそのままに、時代に応じて変化すべきこと(それは利便性なのかもしれない)は変化させていくこと。
そうすることこそ、前川の考えていた、ものの永遠性をもとめることなのではないだろうか。
何を残すのか。何を伝えたいのか。それを見極めることが、一番難しく、わからないことで、一番大切なこと。
建築に限らず、人としても自分の子供たちに、周りから何をいわれようとも、変化しつつも、変化させてはならない、伝えなければならないものを、しっかり残すことが、とても大切なことです。

 
 
前川 國男
数々の歴史的な建築と、多くの権威ある賞を受賞した、戦後日本建築界の第一人者。
1905 新潟県生まれ。
1928 東京帝国大学工学部建築学科卒業。
1928 渡仏し、ル・コルビュジエのアトリエに入所。
1929 帰国。レーモンド建築設計事務所に入所。
1935 レーモンド建築設計事務所を退所。
1935 前川國男建築設計事務所を設立。
1947 MID(Mayekawa Institute of Design)を組織する。
1951 ロンドンで開催されたCIMA総会で、ル・コルビュジエと再会。
1959 日本建築家協会会長に就任。
1968 第一回日本建築学会大賞受賞。
1986 心不全のため永眠。
 
橋本 功
1945 神奈川県生まれ。
1970 日本大学理工学部建築学科卒業。
1970 株式会社 前川國男建築設計事務所に入所。
1994 株式会社 前川國男建築設計事務所取締役に就任。
2000 同上 代表取締役に就任。
現在
 
 
橋本氏のお話を聞き、前川氏の自邸と、この事務所に入ったときに感じた、新鮮さと、懐かしさについて、少しわかった気がした。
どちらも、時代の流れによって少しずつ変化してきた場所があるかもしれないが、伝えたいことが残っているのだ。その本質を感じることができるから、この空間は気持ちが良いのだと。
 
伝えていかなければならないものとは何だろうか。
 
今日、ほとんどの人が、ものを見るとき、非常に表面的な要素(それなりのデザイン、安価であること、簡単に手に入ること)からしか、判断をしていないように感じる。
流行だけで変化し、現れているものたち。
そのようなものが、自分の家族や、友人、自分以外の誰かに代々伝わっていくだろうか。
 
もっと好奇心をもって、自らの足で、本物を探し、その本質を追求する力をつけなければならない。
 
私たちもインテリアショップとして、伝えることの出来る家具を探しだし、つくりだし、そしてその本質を伝えていかなければならない。そのことを強く感じた。
 
建築家前川國男

建築家前川國男
【pour annickプールアニック商品】
 
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Paper Knife
私たちがみつけたのは、繊細なアームと、美しいフォルムをもつアームチェアでした。
そのイスが1950年代に、カイ・クリスチャンセン氏によりデザインされたということをつきとめました。私たちの熱意が伝わり、2004年に日本で復刻したチェアです。アームの形状から名づけられたPaper Knife(ペーパーナイフ)という名前は今では広く浸透し、多くの人に愛されています。
 
建築家前川國男
small table sofa
デザイナーに熊野 亘(クマノ ワタル)氏をむかえ、開発したpour annickオリジナルソファ。ヴィンテージソファのクッションのように、使い込まれ、身体になじむようなすわり心地を、約2年もの歳月をかけ、実現させました。座ると思わずほっとするソファです。
 
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Styles in NORTH
デザイナーに片岡 克仁(カタオカ カツヒト)氏をむかえ、開発したpour annickオリジナルソファ。時を越え、世界中の人々に愛され続ける、北欧の家具をつくりだした人々の暮らしをコンセプトにつくりあげたソファです。極限まで削り込まれたアームと、その緩やかな曲線の美しさが特徴です。
 
これからもpour annickでは、今日まで伝えられてきた、すばらしいデザインや、機能、精神を引き継ぎながら、新しい風を吹かせることのできるものを、紹介、つくりだしてまいります。
 
 
取材協力
株式会社 前川建築設計事務所
 
江戸東京たてもの園
所在地: 〒184-0005東京都小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)
開園時間: 9:30~17:30(月曜定休)
入園料: 一般¥400
アクセス: JR中央線「武蔵小金井」駅北口よりバス5分 2番/3番のりば(西武バス)より「小金井公園西口」下車徒歩5分
H.P.: http://tatemonoen.jp/

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