成形合板技術のパイオニア 天童木工

  • 2020.4.8


 
ミッドセンチュリー
時代で言うなら1940年代

それまで家具と言えば直線的なデザインが多かった中で成形合板の技術が取り入れられ、数多くの名作家具が世に出た時代です。 例えばイームズの代表作であるプライウッドチェア。
それまでの技術では強度的に弱かった3次元曲面の座面を持った椅子で戦時中に制作していた脚用の添え木、レッグスプリントの開発から生まれた20世紀の最高傑作とまで言われています。 そしてこのプライウッドチェアは背と座とが別々のパーツで出来ていましたが、これを一体化させる事に成功したのがアルネ・ヤコブセンのアントチェアです。
当時は新しい技術がもたらす自由に多くのデザイナーが取り組み、今も残るデザインを残しました。

その頃日本の家具はどうだったのでしょうか。 日本には世界に通用するデザインなんてないのではと思う人もいるでしょうけれど、そんなことはありません。
むしろこの時代に初めて世界に通用するデザインが生まれたのです。
 

 
終戦後、山形県の旧天童町に大工や建具の職人が集まり、天童木工家具建具工業組合が結成されました。
後の天童木工です。

最初は軍需品を作るために集められた組合でしたが、終戦後に手持ち材料を使って家具を作り始めたのだそうです。
住まいの中で必要なちゃぶ台などを百貨店に卸したのが ビジネスの始まりで、 日本で初めて成形合板の技術を取り入れたのがそこから2年後の1947年、ここから新しい天童木工の歴史が始まっていきました。
 

 
北欧やアメリカで確立されつつあった成形合板の技術がきっとこれから先の時代を作るだろうと見越して機械を導入したことから剣持勇や柳宗理などから今までに無かった家具の相談が舞い込んできたのです。
今ではパリのルーブル美術館やニューヨーク近代美術館(MoMA)のパーマネントコレクションに選ばれたバタフライスツールは天童木工を語る上でかかせないものとなりました。

今回天童木工の加藤さんにお話をうかがうことができました。
 
 
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