pour annick INTERVIEW vol.2 南雲 勝志 氏(デザイナー)

  • 2014.4.1

annickという一人の女性がいます。
彼女は生活するということをとても大切にとらえ、そして愉しんでいます。
 
pourannickのコンセプトはそんなストーリーから始まる。 こうなりたい。こうしていきたい。 そう思うたびに、選択する。
そうして選んだものがannickの思想や発見につながっていく。つながるものを選んでいく。 いくつもの選択があり、そのたびに出会う。 ここはそうした選択のなかで生まれた流れなのだと、店の中で思う。 置いてある家具はデザインがいいだけではなく、面白さ、美しさがある。annickの思想が白い店内に広がっているのだと思う。 家具店であり、人格でもある。
 
そんなannickが出会ったひとを紹介していきましょう。
デザイナー 南雲 勝志さん。
家具も手がけながら橋や道路など公共のデザインもされている方と知っていつか一緒に仕事がしたいと思った人、それが今回話を伺った南雲 勝志さん。 逆境をものともしない人だという印象を受けた。色々今の状況に不満もあるけれど、それでもどこかに光を見いだしてやっていく。スギダラの活動には単に杉を使えるものにしようとするだけではない、地域性やコミュニティをも元気づけようとするような「価値」や「環境保全」といった尺度ではかれない良さを作り出していると感じられるのだ。 まちづくりが公共空間の整備だけじゃなく、人情や繋がりまでも丁寧に整えているのなら、南雲さんが関わった場所は日本の良さを取り戻していそうだなどと、話を聞くうちにそう感じるようになった。
 
いつものお仕事について教えて下さい。
 
「地方の公共空間とかインフラ(道路や広場)の整備とかですが、単にデザインというより地域の人たちとディスカッションしたりワークショップしながらやっていく『まちづくり』という感じの仕事です。日本全国出張が多いですね。」

 

 

 

具体的にどんな流れなんでしょうか。
 
「今で言うと姫路城が60年に一回の大改修をやっていて2、3年後に完成するんですけど、それに合わせて駅前の空間を整備しています。ペデストリアンデッキとかサンクンガーデン(沈丁庭)とかを建築家や土木設計家とチームになってやっていくんです。僕は土木の方が道にタイルとか敷いたそのあとにベンチとか照明とかを作っていくんです。あと、東京駅の改修もそうですね。駅そのものは僕ではないですが、東京駅の前にある行幸通りのフェンスとか照明とかベンチとかやってます。」
 
スギダラという活動はどういうものでしょうか。
 
「『日本全国スギダラケ倶楽部』というんですけど、何の役にも立たないと言われた地場の杉材を使って地元を元気にしていこうというものです。杉は一時期国策で大量に植えられたんですが、輸入の自由化で価値がほとんどなくなってしまったんです。けど杉が悪いわけではなくて、人のやり方が悪かった。でも価値のない山だとどんどん削られてなくなっていく、『これでいいのか、日本の森林!』みたいな意味も込めて活動しています。もう10年くらいになるかな。会員も1400人になりました。」

 

 

スギダラはどういう流れで行っているんですか。
 
「会員と一緒に山の中に入っていって地場の人たちといろいろ作っていますね。この1,2年は林野庁も力を入れてくれてるんで杉をつかったものとかは結構出て来ているんですよ。国は今でこそ『木質化のすすめ』とかって身の回りに木をつかったものを増やそうなんてやってますけど、10年前はほんとにひどかった。表面だけを見て末端がどうなっているかなんて見ないから、国が植えろと言った杉を植えて、役に立たないから切れと言ってくる。それこそ生きるか死ぬかで悩んでる集落なんていっぱいあったんです。僕らはそれを何とかしようって始めて、やっと盛り上がってきたところですね。」
 
家具と橋は大きさも使い方も違いますが、デザインする上で難しいとかはないのでしょうか。
 
「道具側からみて作り方も構造も違うけれど、人間が使うということには変わりないんですよ。橋は人間が歩いて渡って欄干に触れたりする。だけど土木工事の人たちにはかっこいい橋をかけようっていうのはあるんだけど、使う人がどうやって気持ちよく使うかって価値観はあまりないんですよ。だから僕のようなものが参画するんだけど、それは気持ちよく椅子に座るにはどうするかというのと近いんですよ。例えば日本橋みたいに使う人の心地よさを設計側がうまく汲んでつくられたようなものは80年経っても大事にしようっていう人の想いが続いていく。高度成長で失ったものをうまく補う形でやっていく感じかな。別次元というわけではないよ。考え方は同じだから。」
 
pourannickと一緒にお仕事をしたきっかけとはなんでしょう。
 
(田中※㈱アニックアソシエイツ代表)「昔、南青山にPROJECT CANDYという家具屋さんがあって通りすがりにいつも見ていたんですよ。いつもしまっていてなかなか開いている時に入れなかった。96年のミラノのサローネに行った際にたまたまPROJECT CANDYの家具が出ていて、そこに来ていた南雲さんに前から家具を拝見していましたって名刺交換したのがきっかけかな。話を聞いたら橋とか道路とかのデザインをされていると聞いて、いつか一緒にお仕事したいなと思ったんです。で、そのあとに銀座のいちこしというレストランの内装とモリモトというマンションの設計コンペでご一緒したんです。」
(南雲)「今でこそ日本人も多く出るようになったけど、当時は本当にいなくてね。話しかけてくれたし、日本人だし、僕の家具を以前から知っていたというしすごく嬉しかったなぁ。それでPROJECT CANDYがpourannickの横にお店を出して、それでちょこちょこ会うようになったんですよ。今はもうなくなったけど。」
(田中)「僕が好きなナミナミというテーブルがあってすごいかわいかったよ。ポップで積み木みたいだった。」

 

 

 

 

 

銀座にあったいちこしというレストランはどんな内装だったのでしょうか。
 
(田中) 「昼と夜で使われ方が変わるレストランで、昼はOLがランチを食べに来て、夜はクラブのママさんが髪がグレーのおじさんと待ち合わせしたりするのに使う場所でね。二つの違う面があったからイマドキ過ぎてもいけないし、両方の興味をとるように考える面白さがあったね。」
(南雲) 「そういう客層を受け入れられる様な作りにしないといけない。あの場所特有のね。」
(田中) 「南雲さんに図面をひいてもらって、それを僕が外注で作ってもらったんですよ。無垢のカウンターとか、テーブルと椅子も。ランプとかはannickの商品で。あとスピーカーにこだわったね。1台100万くらいするすごく音のいいものを置いたんだ。大人が夜来る事を意識してね。」
(南雲) 「音の事はすごく覚えてる。内装は壁は凝らずにブロックを白く塗ったりどちらかというとニュートラルなんだけど、そういう中で家具とか音が際立つようにしたね。」 「(田中) けどトイレに向かうとそこの前に羽が磁石で着けられたランプがあったり、中には瓶に入ったLEDのかわいいランプがあったりね。そこでふっとなごませる様なところが南雲さんテクニック(笑)今でこそそういうの増えてきましたけど、この頃はこういうデザインできる人が本当にいなかったんですよ。」

 

 

 

 

南雲さんのブログに「お金にならないけど必要な仕事」が面白いとあります が具体的にどういうお仕事でしょうか。
 
「人々にとって本当の豊かさとか幸せとは何だろうということにすごく興味があって。これから日本が良くなるためにあるんだなぁと思う仕事には自然と時間をかけちゃう。あんまりお金ないんだけどって言われても、ああ手伝いますよっと引き受けて青森の陸奥あたりの地域再生を応援するプロジェクトとかね。東北関係はすごく多いんですよ。3.11の前からずっと行っています。仕事が忙しくてもどうしても行かなくちゃいけないという思いもあるし、でも東北だけじゃなくて日本中に同じ状況があって、3.11でやっぱりそうだなぁと思ったのは、消えていったり失われたりして初めてわかる価値というのが東北だけじゃなく日本中にあると思う。一年間に何百という集落が消えているんです。津波で消えた集落もあれば、高齢化で消えていく集落もある。お金がなくて見放されて消えていく集落もある。それらを同時に考えて、日本が根本的に持っていた資産、風景や景観を含めてどれを守るのか、どれを切り捨てていいのか、そこが非常に大事なところだと思うんです。そこに力入れないと本当になくなってしまって元に戻らない事が多い。だから儲かる儲からないは別として、出来る限りの事をしたいんです。そういうことに興味があるかな。」
 
失われてわかる価値とは南雲さんにとってどんなものでしょうか
 
「3.11の直後ですけど、町が何もなくなっちゃって。そこに飲み屋やってた旦那さんがどうしてもお店作りたいんだ、と言ってきたんだけど作れないんですよ。町の整備にも許可とか色々あって。半年くらいしたら長屋みたいなの作って仮店舗としてそこに入ってくれって言われるんだろうけど、今すぐやりたい、どこにも集まる場所がないんだって叫びみたいな感じで言っていて。それを復興チームの人が聞いて、南雲さんちょっと手伝ってくれないかときたんです。で、僕は屋台を3、4こ作って旦那さんはそこをオープンさせてね。それがなんにもなくなったその場の1番最初にできたお店であり、みんなを集める場所になったわけだけど、基本的に人々が集まる場所ってのは結構大事にしてて、何はなくともこれだけがあればいいというものに人と人がコミュニケーション取れる場所だとか集まれる場所とか、繋がってるという気持ちになるものとかあるね。」

 

 

南雲さんの将来の夢を聞かせてください。
 
「新潟の実家に田んぼと山があるんですけど、田んぼの一部を宅地にしてアトリエを作って、昔からやりたかった焼き物の窯も作って、木工の機械もいれて、自分で作るようなものを表で売って。自給自足的文化的生活みたいなのしたいね。自分がそこで一人で生き延びてるんじゃなくて、こういう楽しい生活してるよ、とかこんなもの作ったよと言ったりしながら人に来てもらったり会いに行ったりして。体力いるだろうからクワとか使えなくなる前にやりたいな(笑)。」
 
最後にデザイナーを目指す人にメッセージをお願いします。
 
「なにかデザインしたり作ったりする時に、一体何のためにデザインするのかということ、そこをきっちりと自分の中で納得しながらやってほしい。今の時代、いらないものを作る余裕も時間もないし。一つ一つ価値をつくっていけるようになってもらいたい。いらないものって言うのは道具としていらないとかではなくて、使う人にとって必要ないってことだから、役に立たなくても精神的に必要っていうのはまた別。何のためのデザインなのかということは忘れないでほしい。」

 

デザイナー 南雲 勝志(なぐも かつし)
新潟県六日町生まれ
東京造形大学室内建築科卒業 永原浄デザイン研究所を経て
1987 ナグモデザイン事務所 設立
2004~GSデザイン会議会員
2004~日本全国スギダラケ倶楽部代表
2004~杉コレクション 審査委員
2005~土木学会会員
2005~グッドデザイン賞 審査委員
2007~東京駅丸の内口周辺トータルデザインフォローアップ会議 委員
2008~平泉町景観デザイン会議 委員
2010~土木学会デザイン賞 選考委員
2010~エンジニア・アーキテクト協会 会員
2012~八王子市景観アドバイザー
 
http://www.nagumo-design.com/
 

 
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文章・インタビュー:花宮 久絵(はなみや ひさえ)
対談相手:田中 雅貴(たなか まさたか/㈱アニックアソシエイツ pour annick代表)

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