pour annick INTERVIEW vol.1 玄・ベルトー・進来 氏(建築家)

  • 2012.9.29

annickという一人の女性がいます。
彼女は生活するということをとても大切にとらえ、そして愉しんでいます。
 
pourannickのコンセプトはそんなストーリーから始まる。
こうなりたい。こうしていきたい。
そう思うたびに、選択する。
そうして選んだものがannickの思想や発見につながっていく。つながるものを選んでいく。いくつもの選択があり、そのたびに出会う。ここはそうした選択のなかで生まれたのだと、店の中で思う。置いてある家具はデザインがいいだけではなく、面白さ、美しさがある。annickの思想が白い店内に広がっているのだと思う。家具店であり、人格でもある。
 
そんなannickが出会ったひとを紹介していきましょう。
建築家 玄・ベルトー・進来もそのうちの大切な一人。
 
今から30年近く前の事、玄さんのもとに友人からバーカウンターのデザイン依頼が来た。そこで作った一連の家具がannickの思想に影響を与えてくれたのがきっかけだった。
 
「磯崎事務所にいたときにたまたま友達からバーカウンターのデザインを頼まれたんですね。その時にスケッチを描きためてた家具をばーっと試作を作ってみました。その中の一つがウルフチェアでした。そうしたら東京の家具メーカーから商品化して発表したいってことで話が来て。で、11月の家具見本市にウルフチェアと他にバーにおさめたMIスツール等、僕のデザインしたチェアがいくつか出たんです。それを田中さん(pourannick)が見て、で、田中さんから僕の留守電に電話があったんです。」
 
この家具をMZA(エムザ)というディスコにいれられないか。
 
ウルフチェアはメーカーから発表はされたが商品として積極的に売っていたわけではなかったために新たに作る事になった。
当時MZAの内装を担当していた田中がえらんだウルフチェアと同じ考えで作られたハイテーブルとハイチェアが1階のダンスフロアを埋め尽し、2階の観客席にはこのアームチェアが入った。その数、計400台。
 
「ポイントは脚の構造ですね。座面からも離れてるし、背もたれの真ん中も離れている。だけどぐらぐらしない、ちゃんと保っている。後ろを離したらより軽く見えるだろうな、脚の角度をこうしたらダイナミックになるなと考えて作りました。」
 
ウルフチェアの印象は「鋭い」ところだ。
そこにあることで場の空気がにわかにとがっていくような、かといって鋭利でも冷々然としているわけではなく「華」がある。
 
「この椅子の名前は昔の横綱の『千代の富士』(現 九重親方)からとったんです。華奢なほうなんだけどすごくかっこ良くて強くて長い事優勝し続けてて、お相撲さんて太ってるけど(彼は)キリッとしてて。これも華奢そうに見えて強いキリッとした線なので、ニックネームのウルフをとってウルフチェアにしたんです。」
言われて再びみると名前がとてもしっくりくる様に思う。名前は後からつけたとのことだが、最初から千代の富士をイメージして作り上げた感じさえある。鋭く、その場に突き刺さる様なフォルムでそこにありながら触れてみたくなる存在感。重厚感と華奢なバランスを合わせもった、これはまさに「ウルフ」だ。
 
「でも『ウルフ』も千代の富士のニックネームだったんで、ツテを通して彼の相撲部屋にウルフチェアにしたいんだけどどうだろうって言ったら、『いいよいいよ』って一言で返事が返ってきた。そんなわけでこのイスを一個差し上げました」
 
ウルフチェアはディスコ用にとハイスツールの形になってMZAに並んだ。今と比べれば夢みたいな華やかな時代を思う。MZAではオールナイトフジという番組の収録が行われ、数多くの著名人が訪れる場所でもあった。光に彩られステージで踊る人々を、アルコールと煙草と音楽を愉しむ人々を、そして存在感あるこのイスがディスコを埋め尽くしている様は、きっと壮観だったのだろう。
 
1989年、ウルフチェアはEUROPALIAという展覧会に出展される事となった。ベルギーで行われている芸術と文化の展覧会で、毎年いろいろな国にテーマを絞って多くのイベントや展示を企画するEUROPALIA。そこには玄さんが尊敬するデザイナー倉俣史郎氏や内田繁氏の作品もあった。
 
「あの時代は、建築でもそうだったけど、とんがっていた時代だから。そのイスもとんがってるでしょ。倉俣さんやフィリップ・スタルクのデザインが好きだったし、だからいかに違う物を作ろうかって考えてましたね。ぼくが磯崎さんの事務所から独立したときも、いかに磯崎流では無く(建築を)やるかってやってました。この時代のあとにかわいい系の家具や建築がでてきたけど、その最初の方だったんじゃないかなと思っています、自分では。」
 
そうして玄さんがREC EARTHというCGスタジオのインテリアのためにデザインしたイスが『PEACE』
 
まあるいフォルムにちょこんとしたアーム、つられて笑ってしまいそうなスマイルをもったキャラクター性の強いイスだ。作家である吉本ばななさんが2脚買われたらしい。シリーズ化していて三人掛けやローテーブルもある。
 
「いくつか作って僕はもう卒業したつもりでいたんですけど、BENESSE(ベネッセ)の依頼でおもちゃの試作を作っていた時に『玄さんマークのあれを入れて下さい』ってなっておもちゃにも入ってるんです。」
 
PEACEシリーズの遺伝子が受け継がれて家具からおもちゃに発展したのはとても素敵ではないだろうか。このおもちゃで遊んだ子供がいつかこのチェアに出会った時にどんな化学反応がおきるのだろう。空間だけではなく人にも影響を及ぼす可能性を秘めた家具。PEACEにはそんな期待を抱かせるものがある。
 
ウルフチェアもPEACEシリーズも、その場の空気を変える家具だと感じた私は、住宅やインテリアにおけるイスはどういうものだと思うかを訊ねてみた。
 
「今は住宅やインテリアを作るといっても、そこに合わせて家具をデザインする事はほとんどないです。まずお施主さんは家具を持っているし、わざわざ廃棄する必要もない。予算があってもメーカーから買ってくるし、作るときは本当にそこにお金をかけて作らなければいけない時ですから。商業の場合はイスの役割もまた違うと思うんです。例えばブティックに置かれたイスは機能なんか果たさなくてもイメージ作りとして求められる。バーでは座り心地なんてのも二の次になる。だけど商業では家具部分に予算を多くかける。大事な要素になっている。」
 
その前置きのあとに、玄さんはこう語る。
 
「住宅の場合は、例えば見た目は良いけど使いづらいイスなんてのは玄関とか靴を履くのにちょっとあるといい。その他では目だたない、機能を果たす家具のほうがいいなとか色々あるように、僕は両方必要だと思うんです。一つの部屋は目だたない家具の方が全体がうまくまとまる、なら違う部屋には目だつものをぽんと一つ置いてみたりする。機能的にはそんなにっていうものでも、それでも役目を果たす場所もある。あとは全然自己主張しない家具でありながらちゃんと空間に貢献してる家具もある。自分がデザインする時も両方デザインします。両方必要なんです。それをうまく組み合わせられるのがまた、腕の見せ所だと思います。」
 
あの時代はとんがっていて楽しかった、そういって笑いながら今の時代も楽しむ玄さんは今フランスのメーカーVILACと積み木のデザインを行うなど、あらゆる方向で活躍している。
 
バブルという時代の光は今ではもう夢物語の世界だが、ウルフチェアがもたらしたこの出会いは今もなお続いていて、pourannickはこの延長線上にある。過去は懐かしむだけのものではない、今に何かを与えるために振り返るものなのだ。そう感じさせてくれたウルフチェアに感謝したい。
 
玄・ベルトー・進来(げん・べるとー・すずき)
1956:パリ生まれ
1980:ベルギー・サンリュック大学建築学科卒業
1980-81:ビロー&フェルニエ建築事務所勤務(パリ)
1984:東京大学大学院工学系修士課程修了
1984-87:磯崎新 アトリエ勤務
1988:独立
1990:株式会社 玄・ベルトー・進来 設立
1991-97:日本大学理工学部建築学科非常勤講師
1998-2002:東京理科大学工学部建築学科非常勤講師
2001-10:日本大学理工学部海洋建築工学科非常勤講師
2002-03:慶應大学SFC非常勤講師
2004-08:女子美術大学非常勤講師

http://www.guenbs.com

 
インタビュー・文: 花宮 久絵(はなみや ひさえ)

 

 

 

 

 

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