日本のミッドセンチュリーシーンを支えてきたデザイナー達Vol.2
知る人ぞ知るデザイナーといった方でしょうか。
不勉強でなんだか申し訳なくなってしまいますが、今回ちゃんと調べるまで私はこの人のことを知りませんでした。
前川國男の友人であって、ずっと前川國男の建築に家具を添えてきたのが水之江忠臣だそうです。
所員のかたちをとってはいましたが、パートナーとしてずっと家具をデザインしていたと聞きます。
そんな水之江さんに注目が集まるのが昭和29年に建てられた神奈川県立図書館。ここで彼がデザインした椅子は丈夫な材で作られた脚に座と背が成形合板で製作されていて、これがとても高く評価されたのです。
今の図書館はすべて椅子が更新されてしまい、水之江さんの椅子は見れなくなってしまいましたが、このときの椅子がきっと初代の“水之江ダイニングチェア”だったのではないかなと思います。
無垢でつくられた直線的な脚に3次元曲線をもつ成形合板の背と座。
とてもシンプルで主張はしてこない控えめな印象の椅子。
座ってみるとすっと体を支えながら包むような安定感がある、板座ながら心地のよい椅子だとわかります。
引き続き天童木工の加藤さんにお話を伺いました。
【図書館のためにつくられた椅子だと聞きましたが、とてもシンプルで座りやすいです】
「水之江さん自身は閲覧用というよりは最初から多目的椅子と考えていた節があって。
というのも翌々年の1956年に建てられた六本木の国際文化会館にも納められてるんですよ。広い場所でも使えるし、家庭のダイニングでも使える。BtoBであってもBtoCであっても使えるというコンセプトはもたれていたはずです。」
「どちらかというと、使われていく中でもっと強度を出したいとか、技術的な進歩によって座面のカーブを変更したりしていっています。
座面も今より薄かった時期もあるのです。強度的な観点からもっと座面を厚くしたいという話が出て改良されたと聞いています」
【ずいぶん細かい調整を繰り返している印象ですね】
「それこそミリ単位の調整もありましたし、規格品となってからも改良を繰り返してきた椅子なんです。」
【貫がなくてももつかどうかなど強度面のあたりでしょうか】
「そうですね。成形合板で作る意味という部分でもそうですし、このいすは部材同士がかなり緻密に組み立てられています。必要最小限のパーツだけで成立しています。
【その結果が100回なんですね】
「100回はとっくに越えていますね。2016年の4月も塗装色を変えたりしました。
水之江さんが亡くなって30年以上経った今も、改良が続けられています。
元々シンプルで改良がしやすいように開発されていますので、改良を加えてもデザインが破綻してしまうというところがないのです。
成形合板は作るのに型が必要ですから一度作ると大きな変更はできません。
脚に無垢を使っているのは座を支える角度を何度か調整するためでもあります。
このいすは成形合板の良さと無垢の良さをあわせ持ったすごくハイブリッドな椅子なんです。」
「一般的にはそれが普通でしょうね。
水之江さんが発表した椅子はすごく少ないのです。その代わり世に出したものは最後まで責任持って関わっていました。
彼は「デザイナーは一生にひとつ、本当に良い物が残せたらそれでいい」と言っていました。
その一つがこの椅子だったという事ですね。」
【どんな方だったんでしょうか。資料もあまりないので想像になってしまいそうですけれど】
「水之江さんは息子さんが6歳の時に亡くなられていますのであまり記憶には残っていないとのことでしたが、ご自宅に水之江さんが集めた資料がありまして、特に整理されず段ボールに入ったままでした。
それを捨てるにも難しいので、と弊社に預けられたのです。それを開くとたくさんのポスターや写真がありました。
ハーマンミラーのポスターやイームズと水之江さんが写っている写真とかハンス・ウェグナーとの手紙とかプライベートな写真とか。
こういうものを細かく取って置くのが好きだったんでしょうね。かなり几帳面だったんじゃないかな。
ポスターの量から見てもコレクターの気質もあったんでしょうか。」
【優れた家具に進化させ続ける事を目指していました、とありますがこの椅子もまだ進化は続くのですか?】
「私自身もこれが最終形とは思っていないです。必要に応じて変え続けるというのは水之江さんも考えていた事ですし、変えることが出来る椅子でもあります。
とはいえ大きく変えて値段がぐっと高くなるのも水之江さんの意図とは違ってしまいますから、そこは守りながら変えていく。
天童木工としてもそれは続けていく責任がありますね。」
【たくさんの改良から天童木工が得たものはありますか】
「もちろんあります。たくさんのノウハウが出来たのはこのいすが図書館や大学とかに何百と収められたお陰でもあります。
数があるから企業としても改良に取り組むことが出来ました。」
【このいすの魅力はなんでしょう】
「歴史的な魅力というのもありますよね、何度も改良されたというのもありますけど、
どんな場面でも使えるというように設計されているので、誰でも使いやすいというのもありますし、
他に比べて値段が安いという面もあります。
水之江さんはハーマンミラーの輸入アドバイザーも務めていましたし、海外のデザイナーとのやり取りも多かったので、最新のデザインにより身近に触れていたんです。
だからこの椅子を作るに当たって海外のような派手さをもったデザインを考えていたのかなと思うところもありますが、
進化し続ける事を目指して最終的にできたデザインはとてもシンプルでした。
それこそ水之江さんが求めていた事で、流行とは違う気づいたら隣にあるようなものを目指しているのだと言えますね。
お客さんがどんな部分に反応されるかはわかりませんが、たくさんのストーリーを持ったいすなので、デザインに興味ある方だったら図書館の話も良いですし、実用性で言うのであれば何度も改良が続いているフレキシビリティの話も良いですし、値段から興味を持っても良い。
ストーリーをこの椅子に感じてもらえるところが魅力ですね」
新しいものが世にでるたびに目を奪われてしまう、そんな自分の価値観を見直させてくれるデザインが60年も前の日本にあった事が驚きでした。
水之江 忠臣(みずのえ ただおみ)1921~1977
1921年大分県生まれ。1942年に前川國男建設計築事務所に入所、数多くの物件の家具デザインを担当。
機能的かつ量産に適した家具のあり方を追求していった。
「デザイナーは一生に一つ、本当に良いものが残せたらそれでいい。」
と常々語っていた彼のプロダクトからは、まさに”常に質の良い家具づくりを目指したデザイナー”として椅子に生きた男の哲学が今もなお感じられる。
次回は、天童木工の転機ともなった椅子をデザインし、日本のミッドセンチュリーデザインを語るのに欠かせない、柳宗理さんの事務所をお訪ねします。